亡くなられた方に対して、成仏を祈り、心を尽くして供養しなくてはなりません。
ご不幸がありました場合や生前のご葬儀のご相談など、お気軽にご連絡ください。
また、各種法要・法事も執り行いますので、まずはご連絡ください。
亡くなられた方に対して、成仏を祈り、心を尽くして供養しなくてはなりません。
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葬儀に先立ち、通夜を行います。古くは臨終にあたり、臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)という儀式がありましたが、最近では稀です。また、死亡直後に枕経(まくらぎょう)をあげる習慣の地方もあります。
通夜は、近親の人たちにとって故人との最後の交流の機会でもあります。また、死そのものを直視し考えるかけがえのない機会ともいえます。
通夜の儀式は、新霊の浄土への引入を祈ることが中心となります。多くは阿弥陀如来のお迎えを頂戴するお経が唱えられます。(来迎佛)
天台の教えでは衆生は全て仏性を持っており、必ず仏になることができます。
そのためには仏様と縁を結ぶことが大切になります。そのために葬儀にあたり先ず心身ともに仏の弟子になっていただく儀式を行います。その後、仏弟子としてこの世(娑婆世)を離れ、仏の国(浄土)へと向かうことになります。
仏の浄土への門出に際し、姿形を改めて清浄にします。洒水(水で清める)塗香(香りで清める)で清めた後、髪を剃ります。剃髪は煩悩を除き去る儀式として行い実際に剃ることはあまり行われません。
次に心を清浄にします。私たちが生きていくには多くの助けを受けなくてはなりません。生きていくこと自体が他の犠牲の上で成り立っています。意識、無意識にでも多くの罪を背負ってもいます。それらを懺悔し心を清浄にするため懺悔の文を唱えます。
心身ともに清浄になったところで、いよいよ仏の教えを授かります。ここで授かる教えは仏教徒としての基本である、三つの戒めであります。第一は帰依仏です。先ずなんと言っても仏を信じなくては始まりません。第二は帰依法です。仏の残された教えを法と言います。それを信じるということです。第三は帰依僧です。仏の法を実践する人を僧と言います。教えに従い、それを拠り所にして暮らすということです。この三つを仏様に誓うことで私たちは成仏の縁を受けることができるのです。
戒を受け終わった証(あかし・しるし)が戒名です。戒名は仏の弟子としての名前です。法名とも言います。法名は二文字です。現在では法名の上に道号二文字やさらに院号などを付けますが、仏弟子としての大切な名前は法名の二文字です。法名は生前に頂くことができます。むしろ生前に授戒して仏様を心に頂いて生活することが本来の在りかたです。
旅立ちの準備も整い、いよいよこの世とお別れとなります。全ての執着心を絶って浄土に向かう訳です。最後にもう一度仏の教えにより、必ず成仏することを旅立ちの餞として言い渡すのが引導です。決定的なことを言い渡すことを「引導をわたす」などと言うのはここからきました。
次に、霊棺に松明で火を付ける下炬の儀式をします。もちろん実際に点火はしませんが、釈尊の最後に倣って火葬の儀式をする訳です。
最後に、新霊の往生(浄土に生まれなおす)をお迎えの阿弥陀如来にお願いし、十返のお念仏が唱えられて葬儀は終了します。(十念)
告別式は言葉どおりお別れの儀式です。故人の生前中、縁のあった人々とのお別れです。お別れの言葉(弔辞)が奉読され、弔電が披露されます。故人に代わって喪主が挨拶をします。そして手向けの香を献じてお別れします。
死者の冥福を祈るために、法事を行います。
法事には追善回向の意味があります。
浄土は極楽と言います。何が極めて楽なのでしょうか。それは娑婆に付き物の苦労(例えば空腹や暑さ寒さなど)から開放され、ひたすら仏の教えを信じ、実践するのに最適であるということから極楽というのです。ここでの修行の糧として大切なのは生前に積んだ善行の功徳です。地位も金銭も代えることは出来ません。遺族は死者の冥福のためにこの娑婆(現世)で死者に代わって善行を行い功徳を積むことが大切です。このことを追善といいます。またこのようにして積んだ功徳を法事の際に、死者への供養として回向します。回向とは功徳を我が物とせずに他に振り向けるということです。
大勢の人を集め、どのようなご馳走をしても追善の心が無ければ本当の供養にはなりません。
さて、善行とは何でしょうか。最もすばらしい善行は、自らの心に仏さまを頂きその慈悲心を実践することでしょう。
天台宗では心に仏さまを頂くことを授戒といいます。(生前授戒)
法要の営み方は地方地方で違いがありますが、おおよそ次のようになっています。
亡くなったその日を一日目として数え、七日目。
死者は死後、娑婆世界と仏の世界との中間に居る期間(中陰)が有り、この期間が四十九日とされる。
七日ごとに供養の法要を行うことが本儀であるが、四十九日法要を行って忌明けとする例が多い。
百日目の法要。死別の悲しみから立ち直る時期として卒哭忌とも言う。
亡くなって一年目の法要。命日より以前に行うことが通例。
なくなった年を一年目と数えて三年目(一周忌の翌年)に行う。
以後、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と行う。
その他にも、毎月参りを行う(祥月命日)地方もあり、五十回忌や百回忌を行う例もある。